小学校訪問でこども達と交流
町を歩くと、おそろいの色の服を着た子供たちに出会います。これは公立の学校の制服で、ケニアの公立校は国立で運営されており、学費は無料。
それでも、貧しい地域では子供も貴重な家族の労働力。水を汲みにいったり、薪を拾いにいったり、なんらかの役割を担っていて就学できない例も沢山あります。
制服を着ていない子供達。手には棒切れをもっているけれど、別にチャンバラごっこをして遊ぶためではなくて、家畜を追う棒を持っています。
私達が訪れたのは、しかし公立の小学校ではなく、ある日本人の出資で1年前にできたばかりという、私立の小学校Source Mawenzi P. School。
日本人の目には簡素な建物と映るかもしれませんが、ある程度の収入と、教育に対する考えのあるご家庭の子供達が集まっている場所。
無料の公立に対して、こちらはお金がかかりますが、それでもこちらの方が子供達の将来のために良いと判断した親たちが選んで通わせるそうです。ケニアでは、英語教育は必要不可欠。 子供達は、一生懸命覚えた英語で毎日先生へ挨拶をします。
子供達が歌とお遊戯で迎えてくれました。とっても可愛いかったけれど、お遊戯の内容の多くはこの学校の建学の精神や、目標・理念のようなものを言葉と全身の動きで表すもの。「ここで先生方と勉強して、誰も辿り着けなかった高いところをめざします」と、コブシを作って声をそろえて。学ぶことに未来を託す並々ならぬ真剣さがものすごく伝わってきました。
さて、ここでは「日本から歌手が来るらしい」という話になっていてさあ大変。でも、子供達と交流のできる貴重な機会。ゴスペルの出番です。私達が歌いだすと、ひしめいていた子供達、全員スタンディングになってくれました。
「子供達に楽しんでもらうには、どんな歌がいいかな・・・」と、UNITY’Sは宿で試行錯誤を重ね・・・、せっかくだから一緒に踊ろうと、振り付けを考案。
アクションのあるゴスペルは、大正解!子供達と一緒に踊り・・・それどころか、先生方まで真似して熱唱してくれました。
ゴスペルのトラディショナル曲「Glory Glory Hallelujah」では、子供vs. UNITY’Sの輪唱大合唱も!!
そして、こちらの小学校に、GQかみしばいチームで作成した「手洗いの大切さ」を伝える手づくりの紙芝居をお渡ししました。
この小学校では清潔な水を使うことができる環境自体はあるので、その水で「しっかり手洗い」をしてもらえますように。
この紙芝居は、「衛生」の大切さを教えるためのもの。ストーリーはIWP代表の大野さんの作品です。それを私達有志がチームを組んで、イラストを書き、色を塗り、このツアーの出発にあわせて完成させました。
マサイの女性コミュニティー訪問
マサイの女性はとても働き者。家事・子育て・水汲みはもちろん、「家の建築」まで伝統的に女性のお仕事なんだそう。(下は、マサイの典型的な住まい。)
私たちが訪問したこのウィメンズグループ(女性組織)は、個人のためにではなくて、コミュニティで扱う現金収入を得ようとグループを作って働く女性達の集まり。
マサイ伝統のビーズアクセサリーなどを製作して、それで得たお金を、例えば「○○さんの家が壊れたから、今回はその修理費に。」とか、「今、牛や羊が足りないから、数頭手に入れよう」とか、話し合いによって決めた使い道にお金を使います。
マサイのウィメンズグループの女性達。やり方を教えてもらいながら、ビーズアクセサリー作りに私達も挑戦させてもらいました。
子供を5人6人と抱える子沢山の家庭も多く、赤ちゃんにお乳を飲ませながら同時進行でせっせとビーズを作るお母さんも。
家族を大切にするマサイの皆さん。アクセサリーの形にも、それぞれ「家族の健康」や「子孫の繁栄」などを表す意味があるのだそう。
そんな大事な大事な民族衣装ですが、コミュニティのお母さんに着付けてもらい、UNITY’Sメンバーから代表して、えみさん&とんちゃんが大変身!
現在、マサイの社会も変化の真っ只中。民族の中でも、「伝統的な生活を守りたい」と願う人々と、社会の変化に合わせて変わっていかなければと思う人と、考え方も分かれているのだそう。
伝統的に、マサイの社会では「牛を持っていること」が財産。自然と共存しながら、家畜を交換することで富のやりとりもしていました。
けれど、商品経済の中で生きようと思ったら、子供に良い教育をと思ったら、牛では支払えません。マサイも携帯電話を使用できる時代。国境を越えて物と人と情報とが沢山やってくる今、現金収入を得る道を確保することは、重要な課題なようです。
水場視察。もしも井戸がなかったら・・・
女性達が働いたり、子供達が学校へ行ったり、そんな日本では当たり前のことができるためには、「安全清潔な水が遠くまで歩かずに手に入る」という環境が不可欠であることが次第によくわかってきます。
私達が視察した2つの井戸からはとてもキレイな水が沸いていましたが、もしそういった井戸がなければどうやって水を手に入れるのか。
ドマーニという土地に、実際に使われている自然の水場を見に行ってみました。
ゴツゴツとした一面茶色の地面が続いていて水が出ない土地。その中で、青々とした緑に囲まれた場所があります。ここが水流。遠くからでもよく目立ちます。
しかし、実際の水を見てみると、とても細くチョロチョロと流れているだけで、心もとなく映ります。なんだか水の色も、テカテカしています。
それでも、人も家畜も野生動物も、皆がこの細~い水流を頼りにしてここに水を飲みに・汲みに来るのです。
水の周りには、動物の糞が数え切れないほど沢山落ちています。 乾燥した土地なので臭いはあまり無いものの、衛生的でないことはすぐにわかります。
また、野生動物も人間も同じ水場を使うため、動物と遭遇した時の危険も伴います。
実際、水を汲みに行く途中でそうして命を落とす事故の数も多いそう。それでも、ここまで長い長い距離を歩いて重いポリタンクを抱えて、この水を頼りに往復しなければならないという環境・・・。想像できますか?
井戸のあることの意味が、価値が、身に迫ります。
この土地から一番近いところにある井戸は、オロボソイトという土地の小学校の中にありました。そこもまた、IWPの活動の中で生まれた井戸です。
私達がトイレをお借りしに学校に寄ってみると、学校帰りの子供達が、黄色いタンクをぶら下げています。
各家庭の中で、子供たちも貴重な労働力の一部であることが多く、特に水が手に入りにくい土地では遠路水汲みに行くことが子供の仕事とされることが多くあります。その為に「学校に行けない」という状況を少しでも緩和するために、学校に井戸があることで、学校帰りに水を汲んで家へ持ち帰り、教育と同時に家庭での役割も少しでも担えるように・・・と、考えて井戸が設置されているんです。
生きることと学ぶこと。これを両立できるというのは、決して当たり前のことではないんですね・・・。 |